仕事と介護の両立のリアル_株式会社国本の場合_後編

こちらの記事は、前編の続きとなっております。

退職の相談から、仕事と介護が両立出来る働き方へ

りぷらす橋本

ササキさん、はじめまして。りぷらすの橋本と申します。今日はありがとうございます。

介護は、始まって何年くらいですか?

国本
ササキさん

親父の頃からで10年になります。親父が亡くなったあと、母も介護が必要になりました。

りぷらす橋本

最初は、会社に相談しようと思って、相談されたんですか?

国本
ササキさん

なんか辛くなって「辞めようかなって」社長に話をしました。そっからですね。どうして辞めんだ?って話になって…

りぷらす
橋本

仕事と介護の両立は難しいと思い、退職の相談をしようとして、引地さんに伝えたのですね。

国本
引地社長

佐々木さんの上司経由で話を聞いて、面談しました。介護に限らず悩んでる時って、社員の顔色だったりとかが普段と違うんですね。それでただごとじゃないな、佐々木さん自身も冷静じゃないなと感じました。退職も選択肢なのかもしれませんが、介護があっても本人の生計を立てるのってすごく大事だと橋本さんから教えて頂いた時期でもありました。

とにかく、しばらく休んでも構わないから、まずお母さんの周りを何とか整理して行こうという感じからスタートしました。

りぷらす
橋本

最初は、退職って相談から、引地さんと話して、じゃあ両立頑張ってみようかと思い、退職は踏みとどまったのですね。

国本
ササキさん

お金の問題もありますし、あとはやろうかなって…

りぷらす
橋本

お金の問題もあるし、両立できるかできないかみたいなところを考えて、チャレンジしてみようかなというか、そういう風に思われて、ってことですかね。なるほど…

国本
引地社長

生活に合わせて働く部署を変えたり、そこまで時間に拘束されない仕事に変えていきました。役割に人を当てるんじゃなくて、今できる範囲の所で、会社の中で仕事を探しました。これは、当社ではササキさんが初めてのケースでした。その結果、とても上手く行きました。こうやってやればいいんだ!となるほどな〜と思いました。

りぷらす
橋本

では、会社としても新しいステップというか、人に仕事を合わせる最初の挑戦が、うまくいってるって感じなのですね。

具体的にはどういう働き方からどういう働き方に変わっていかれたんですか?

属人化された働き方から、仕事の因数分解を

国本
引地社長

それまでは、来客されたお客様の荷下ろしなどで待機する必要がある働き方でした。運ばれてきた荷物の検品をしたり計量したり。なので、ずっと人が貼り付いている必要がありました。

そこから、使用済みの電線の加工をする製造業的なラインに変わりました。そこは黙々できるし、他にも仲間がいます。交代交代でラインにつけば、生産を維持できます。それがうまくハマって、従来より稼働率が上がったこともありました。

りぷらす
橋本

いわゆる属人的な業務を変えて、時間的に自由度の高い仕事に変わったのですね。

国本
引地社長

他の人でも交代ができる仕事に変えていきました。田舎の中小企業なんで「あれもやってこれもやって…」みたいな感じで、どんどん属人化されて、その人がいなくなっちゃうと、会社が回らない!ということが往々としてあったんです。

社員は年齢は上がり、やがて退職するじゃないですか。そうなったときに属人化したままだと大変なことになるなって思います。会社の仕事の因数分解っていうのは、やっとかないとまずい。それのヒントをくれたのが彼(ササキさん)の出来事なんです。

りぷらす
橋本

こういう働き方を変える提案はどのように始まったんですか?

国本
引地社長

私の勤務先は通常は本社で、(ササキさんは)大崎工場配属だったんですけど、僕の見えないところで勤務を続けていくのは心配でした。人数的にも本社の方が楽かな~と思い配置も変えました。

当初は、ササキさんの対応に関して社内では初めのケースだったこともあり、賛否両論的なところもありました。それは、彼の状況をちゃんと知らないからだと思います。昔の人は、子供が病気しようが働き出るもんだみたいなことが、根付いていたため、そのような働き方のこれまでの常識にを変えていくのが難しかったです。

りぷらす
橋本

同じ状況や、経験している人には伝わりますが、そうではない方が理解するのは難しいですよね。

今の、ササキさんのチームは何人くらいなんですか?

国本
引地社長

現在は3人のチームです。さらに、あと隣の部署の人がヘルプに回れてカバーできる体制です。

りぷらす
橋本

役員だったり管理職の方の理解っていうのは、どうですか?

国本
引地社長

これまで産休や長期療養による休業など、いろんな理由で会社に出てこれない事例が増えてきたので、理解は進んで来ています。相談できるチャネルは直属の上司が一番いいと思っています。さらに、私や、うちの奥さんも人事・労務をやってるので、奥さんに相談してもらったりとか、社内の複数のチャネルで困りごとを拾えるように意識しています。

りぷらす
橋本

誰か特定の人だけじゃないと相談できないとなると、相性とかの問題もあって、相談しにくいこともあるので、複数のチャネルがあるのは確かに重要なところですね。

りぷらす
橋本

ササキさんは、10年前に介護が始まったときは、介護保険制度のことは知ってましたか?

国本
ササキさん

全然知りませんでした。

ケアマネージャーさんを紹介されてからですね、

りぷらす
橋本

介護は、突然はじまったのですか?

国本
ササキさん

親父はそうですね。

りぷらす
橋本

お母さまが徐々に

国本
ササキさん

親父のことを踏まえて、ちょっとかあちゃんも始まりました

りぷらす
橋本

お母さまの時には、ケアマネージャーはすぐ相談できたんですか?

国本
ササキさん

母親のときは、民生委員と近所の人に紹介してもらって、そこからまたケアマネージャーさんを紹介してもらいました。

りぷらす
橋本

現在は仕事と介護の両立は、可能という感覚はありますか。

国本
ササキさん

仕事はちょっと遅れて出勤するんですけど、なんとかやっていけるかなと。

りぷらす
橋本

ある程度の経験が積み重なってくると、想いとか両立みたいなところも認識が変わってくるっていうところですね。有難うございます。

引地さんやササキさんから、聞きたいことなどありますか?

国本
引地社長

今までの社員からの相談では、尊敬していた、ずっと元気だと思っていた親御さんがガラッと変わっちゃうのがショックだったそうです。相談に来た社員の顔を見たら、びっくりするぐらい辛そうな顔してるんですよね。親御さんの変化は、かなりショックを受けるんですか?

りぷらす
橋本

そうですね。やっぱりほとんどの人はそれを受け入れられなくて、専門家の方に相談するのが遅くなるってのが多いですね。

僕たちのような仕事をしていたら別ですけど、そうではない方が大多数なので、親が今まで出来てたことが出来なくなってくるってのを受け入れるのが難しいというのは当然起こってくることですね。

国本
ササキさん

そこを受け入れるかどうか、両立のスタートになるのかなと思いました。

りぷらす
橋本

なので、まずは最初に“気づく”っていうのが、大事ですね。そのサインに気づいたら

ケアマネさんとか専門の機関に繋がっていくというのが大切ですね。

国本
引地社長

例えば、進行度合いとかにもよってくると思うんですけど、グループホームとかに行って、体調など改善する事例もあるんですか?

りぷらす
橋本

適切な資源につながって、適切なケアを受けると変わる人もいらっしゃいます。例えば栄養状態が改善して、動けるようになる方もいるし、睡眠がしっかり取れるようになって変わる人もいます。

ただ、もちろん病気とか障害の影響によっては、改善が難しいことも当然あります。

ご家族だけでケアしていくのはどうしても専門ではないので、専門の人に入ってもらったほうが、みんなにとって良い状態になってくると思います。

定年退職しても、「大丈夫だよ、いつでも来てね」って社員を送り出せる体制づくりをしていきたい

国本
引地社長

じゃあ、仕事を引退して環境が変わって、認知症が始まるとか、そういう要因ってあるんですか?

りぷらす
橋本

はい、あります。

特に男性は、社会とのつながりを女性よりも作るのが苦手な方が多く、仕事辞めた後に行く場所がなかったり、会う人がいなくなったりして、認知症になったり閉じこもったりっていうのはあります。また、性別に限らず社会的に孤立してくと、認知症や介護が必要になるリスクも高くなっていきます。

国本
引地社長

やっぱり高齢者の雇用できる場所を、1時間でも2時間でも設けることは、意味があるんですね。

りぷらす
橋本

すごく意味がありますね。これからの超高齢社会にとって!

国本
引地社長

うちの会社で、平日に軽トラックとかに段ボールとか乗っけて持ってくる人ってだいたい、年配の方なんですよね。

たま~に、受付時間が終わってんですけど、帰らずにずっと喋りっぱなしの方もいて。もしかすると、ちょっとこう立ち寄る場所に、国本っていう会社がなってるのかもしれないなって。

りぷらす
橋本

今は、デイサービスでも、デイサービスに来てる人が、働いて、お金をちょっともらうようなことも、始まっています。ですので、高齢者ももちろん、出来るような仕事なり作業なりってのは、社会の役につながりますし、とても意味があります!

色んな人が働けたり、ボランティアとかでもいいと思うんですよね。そういうことで社会と繋がる人もいるし、有償のボランティアでも雇用でもできそうな気がしますね。

国本
引地社長

そういうプラスになるような、地域の方との関わり方っていうのは大事なんですね。

やっぱり、社員には退職後も元気でいてほしいですね。

定年退職しても、「大丈夫だよ、いつでも来てね」って社員を送り出せる体制づくりをしていきたいなと思います。


株式会社 国本
『地域の生活と産業、そして地球のライフライン』
1952年宮城県美里町で創業。正社員48名・パート7名。
宮城県北を中心に金属スクラップ・古紙をはじめ、産業廃棄物・一般廃棄物・フロンガス回収・家電リサイクルなど、地域から日々排出される資源やごみの回収・再資源化・適正処理を手掛ける。「ひとも、ものも活かす」会社づくりで、地域の環境向上、そして限りある資源の有効活用に取り組んでいる。

■本社
987-0003 宮城県遠田郡美里町南小牛田字埣下85番地
Tel : 0229-32-2455 / Fax : 0229-32-2458
■エコクリーン大崎工場
989-6252 宮城県大崎市古川荒谷字新芋川18番地
Tel : 0229-87-3935 / Fax : 0229-87-3936
http://kunimoto.biz/

協力
・河村由美子(リハノワ代表)
・森啓


この記事を書いた人